マルチタスクとは注意散漫という意味

マルチタスクで仕事をこなすことは、素晴らしく優秀なことであって、たくさんの案件を持ち・たくさんの仕事を同時にこなす、それが素晴らしいことであり仕事ができる人間の姿だと思ってた。割とガチで。若いころは遅い時間や休日まで働いてフル稼働してもやっていける体力があった。おかげでとてもたくさんの仕事をしてきた気がする。

マルチタスクって本当に出来てる?

ただ実際にどれだけの仕事をこなせてきたのか正直分からない。当時の知識や経験の浅さ、スペックの限られたPCや、ネットワーク環境、会議や打ち合わせ。いろんな要因があるが、結局まともにどの仕事も中途半端でジタバタ右往左往していただけなのかもしれない。

今もはたくさんのクライアント・案件を持っていて、受発注のディレクションをしつつ、請求やら入金・支払い、問い合わせやたまに経営面も考えたりして、同時に動かしているような気持ちにはなるけど。違う。昔と考え方を変えたのは「マルチタスクはできない」ということ。もう諦めた。無理だ。

たくさんの物事を抱えて同時にやるなんて脳の処理的には無理なのだから、一つ一つを終わらせていかなければならない。自分がやることを1個1個を順番に潰すこと。潰して潰して潰していく。出来る限り一つのタスクが終わるまでよそ見をしないように。マルチタスクとは注意散漫である。今はそう考えるようにしています。仕事が忙しいなと思っている時はたいていあれもこれもの手付け状態。開きかけのファイル、書きかけのメール。ああぁぁ。

そしてもう一つ、マルチタスクを人に強要してはいけない。自分ができないように人も同時にいくつもの事ができるわけではない。一つ終わったら一つを依頼する。

ブラック企業と揶揄されて労働時間が長時間に渡る原因は、こなせない量の仕事があるわけで、それを依頼する側が自然に複数の同時処理を命じてしまっているのかもしれないですね。結局発注側(進行管理側)の人間のさじ加減に依存する部分が多いですからね仕事って。マルチタスクでこなしていく前提での依頼になっちゃっているのかもしれない。知らんけど。

そんな本ないかなと思ってアマゾンさんに聞いてみたら、この本がまさにそんな内容でとても参考になりました。おもしろいです。

ふぁ~ これだけのブログを書くのにどれだけよそ見をしているのか・・。
高木京介の謝罪動画を見始めたあたりで「おれも終わってるな」と思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です